富士山の麓、自然豊かな忍野村でご家族のご供養をさせていただきます。寺院墓所は、富士山を正面に望むロケーションです。
忍野富士樹木葬
寺院墓所・勢至庵
忍野富士どうぶつ霊園
〒401-0512山梨県南都留郡忍野村内野192
つなぐ 第7号 発刊
2026-06-12
今月の言葉 5 古佛心
令和8年度 第1回 子育て支援事業
2026-05-15
JAZZ in 忍vi野 5月24日 開催
今月の言葉 4 啐啄同時
2026-05-14
会報「つなぐ」第6号 発刊
今月の言葉 3「柳緑花紅」
2026-05-10
会報【つなぐ】 5号 発刊
今月の言葉 2 無一物中無盡蔵
2026-05-09
会報【つなぐ】 第4号 発刊
2026-05-07
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畠山 重忠公とは
本朝百将傳より/国立国会図書館所蔵
鎌倉時代初期の武蔵国男衾郡畠山荘(現在の埼玉県深谷市畠山)の豪族。武蔵国男衾郡畠山荘の荘官であった父の重能が畠山氏を起こしました。重忠公はその重能の子です。源頼朝の挙兵に際して当初は敵対しますが、のちに臣従して治承・壽永の乱で活躍します。知勇兼備の武将として常に先陣を務め、鎌倉幕府創業の功臣として処遇されました。しかし、頼朝の没後に実権を握った北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられ、子と共に討たれたとされています(畠山重忠の乱)。重忠公は、存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称され、優れた武将であったと様々な書物に記されています。さらに誠実で思いやりのある人格者として語り継がれ、全国各地にそのゆかりの品やゆかりの地があります。