富士山の麓、自然豊かな忍野村でご家族のご供養をさせていただきます。寺院墓所は、富士山を正面に望むロケーションです。
忍野富士樹木葬
寺院墓所・勢至庵
忍野富士どうぶつ霊園
〒401-0512山梨県南都留郡忍野村内野192
2026-09-11
心をつなぐ写経の時間!・子供食堂
今回は、承天寺の本堂で子どもたちの写経体験を行います。
静かな本堂で、一文字一文字ていねいに書く写経。上手に書くことが目的ではありません。筆を持ち、文字と向き合うことで、普段とは少し違った静かな時間を過ごしてもらえればと思います。
初めて写経をするお子さまにも、分かりやすく説明しますので安心してご参加ください。
承天寺 住職船場正譲
富士山の麓、忍野村の承天寺で住職をしています。
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畠山 重忠公とは
本朝百将傳より/国立国会図書館所蔵
鎌倉時代初期の武蔵国男衾郡畠山荘(現在の埼玉県深谷市畠山)の豪族。武蔵国男衾郡畠山荘の荘官であった父の重能が畠山氏を起こしました。重忠公はその重能の子です。源頼朝の挙兵に際して当初は敵対しますが、のちに臣従して治承・壽永の乱で活躍します。知勇兼備の武将として常に先陣を務め、鎌倉幕府創業の功臣として処遇されました。しかし、頼朝の没後に実権を握った北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられ、子と共に討たれたとされています(畠山重忠の乱)。重忠公は、存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称され、優れた武将であったと様々な書物に記されています。さらに誠実で思いやりのある人格者として語り継がれ、全国各地にそのゆかりの品やゆかりの地があります。